短編の物語と絵で世界観を作りあげた作品です。創作民話、新しい昔話という試みに挑戦しています。
この作品の絵は切り絵とデジタルの複合技法で独自の作品世界を表現しました。
▼あらすじ▼
寒村の山奥にある『よどみが淵』で自由奔放に生きているイワナの精(美女)と、世間のしがらみにがんじがらめにされて生きる農民の男(佐吉)の魂が出会い、交錯する。一瞬で永遠のものがたり。
文、イラスト 弘中香織
皆の衆は『よどみが淵(ふち)』の不思議な話を知っているかい?
よどみが淵は知ってのとおり、この村の北にある『いかづち山』の滝つぼにある広くて深い淵のことだよ。
村には古い言い伝えがあってな、よどみが淵には年を取ったぬしがいて、月夜の晩には美しい女の姿になって地上に上がってくると言われていた。
村のだれかの話では、その女のからだには綺麗な模様があって、月の光に照らされた姿はこの世のものとは思われぬ妖しさだったそうな。
ひと目そのすがたを見た者は、かならず魂を奪われてしまうそうだ。
村の人間は皆たたりを恐れて、よどみが淵にはだれも近づかなかった。
このあたりの村は先祖の代から、米や作物が少ししか取れない貧しい土地だった。
しかしお上は重い年貢を毎年納めさせるので、百姓たちの暮らしはいつも苦しいものだった。
この村には佐吉という貧乏な男がいた。
佐吉には女房と2人の子どもがいたが、一家は田畑をたがやして細々と食べていくのがやっとだった。
佐吉はいつも「女房と子どもたちに腹いっぱいうまいものを食わせてやりたい」と思っておった。
ある日のこと、佐吉は誰も近寄らない、よどみが淵の魚を捕ろうと考えついたんじゃ。
それも村の秘密の場所に生える毒草の毒を使って、淵にいる魚を一網打尽にしようと思ったんじゃ。
佐吉がよどみが淵に行ってみると、人が入らない滝つぼには大小の魚がうようよ泳いでいた。
淵の澄んだ水の中で、毒草が入った袋を揉むと水に毒がたちまち広がって、たくさんの魚が腹を見せて浮き上がった。
佐吉は大喜びで魚をびくに入れると、こっそり家に持って帰って女房と子どもたちに腹いっぱい食わせた。
その夜のことだった。佐吉の夢に見知らぬ女があらわれた。
女は背中に美しい長い髪を垂らして、真っ白な肌に血の気がなく、涼やかな目で佐吉を見つめて言った。
「わたしはよどみが淵に住んでいる者です。あなたは今日淵で水に毒を流して魚をたくさん捕りましたね。
なぜ川に住む生き物の命を一度で根絶やしにするような、むごい魚の捕り方をするのですか。
あなたに家族がいるように、あのよどみが淵に住む生き物はわたしにとっての家族なのですよ。」
「これからはもうよどみが淵では毒をつかわないと約束してくれたら、あなたの願いをひとつ叶えましょう。
もし願いを叶えてほしい時は、よどみが淵にいるわたしに願いを言いに来るといい。」
と、言い終わると女は背を向けて帰っていった。
目が覚めた佐吉は思った。夢の女はうわさに聞いたよどみが淵のぬしにちがいない。
恐ろしいことをしてしまったと震え上がって、その夢を見たことを誰にも言わず心の奥にしまい込んだ。
そしてよどみが淵には二度とよりつかなかったのだ。
それから何年もたち、佐吉はその夢のことをすっかり忘れてしまっておった。
その夏、佐吉の住む村は日照りがつづいて田畑はカラカラに乾いていた。
村の衆みんなで雨を降らせる竜神さまに雨乞いをしても、ひと粒の雨も降りそうになかった。
佐吉は照り付けるお天道様を見上げて天を恨んだ。そして百姓からきびしく年貢を取り立てるお上を憎んだ。
家では子供たちは腹が減ったと泣いてばかりだし、女房とは毎日ケンカになった。
家には金に換えるようなものは何もなく、ひえやあわももうすぐ底をつくのだった。
「雨だ。雨さえ降ればみな助かるのに・・・」佐吉は追い詰められていた。
川で魚を捕ろうにも川の流れは細く、魚は姿を消していた。
「そうだ!魚といえば・・・」
佐吉はあのよどみが淵のぬしの女の夢を思い出した。
「あの女はたしか夢の中で願いをひとつかなえてやると言っていたな」
佐吉は何を思ったのか、家の外に出て出刃包丁の刃を研ぎだした。
そして包丁を懐に隠すと、思いつめた顔でいかづち山に向かって歩き出した。
川の流れをつたってしばらく山を登っていくとよどみが淵にたどり着いた。
村の川は細くなっているのによどみが淵の水は満々と湛えられ、月が水面にゆれていた。
月の光にさらされた佐吉の顔はあおざめていた。
大きな岩の上に立った佐吉は淵に向かって大きな声で叫んだ。
「よどみが淵のぬしよ!おれは願いを伝えに来たぞ!」
「見ての通り、ふもとの村は日照り続きでおれたち百姓は虫の息だ。
このまま雨が降らなければ、飢饉で村の人間は死に絶えるだろう。
おれはもう、この土地で重い年貢に追われて生きることに嫌気がさした。
人間をやっているのがとことん嫌になったんだ。」
「おれは人間でいるよりも竜になりたい!
雨を降らせる竜神になり、村に好きなだけの雨を降らせてやりたいんだ。
よどみが淵のぬしよ、おれの姿を竜にしてくれ!」
そうありったけの声で叫ぶと、佐吉は包丁を自分の心の臓に突き立てて、淵の水の中に飛び込んだ。
よどみが淵の水は佐吉から流れる血で紅く染まった。
気が遠くなっていく佐吉の耳に「佐吉よ!おまえの願いは聞き入れられたぞ!」というあの女の声がきこえた。
すると佐吉のからだ中にうろこが生え、頭にはツノが生え、口は蛇のように大きく裂け、
両手両足の指には鋭い爪が生えた。腹は大杉の丸太のように太く長く伸び、尾は大蛇のようにのたうった。
佐吉は望みどおり大きな大きな竜になったのだ。
竜になった佐吉は全身全霊をかけて念じた。
「天よ聞け!あわれな人間たちに救いの雨を降らせてくれ!」
すると見る見るうちにいかづち山の向こうから大きな黒雲が集まり、大粒の雨がカラッカラの地面をたたき始めた。
稲光が走り空が明るくなった瞬間、竜になった佐吉が天に昇っていくのが見えた。
竜は雨雲の中で大きくからだをうねらせながら、天から村中の土地に大雨を降らせてまわった。
そして作物がたくさん育つ土地になるように願ってカミナリをいくつも落とした。
「雨だ!雨が来たぞー!」
村では大人と子どもたちがみんな外に飛び出して両手をあげて喜んだ。
佐吉が降らせた雨で村は日照りから救われて、田畑は息を吹き返した。
それからというもの、村の守り神となった竜神の佐吉は、いつもはよどみが淵にひそんでいて、
村が雨に困ると天に上り大雨を降らせるのだそうな。
もしかすると、佐吉はよどみが淵のぬしの女に魅入られてしまったのかもしれない。
でも村の皆が今こうして豊かに暮らしていけるのも竜神になった佐吉のおかげなのだよ。
と、年を取ったじいさまが村に伝わる古い話を子どもたちにいろり端で語りましたとさ。
おしまい
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